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偶然の一致

最近、ある作家の本ばかり読んでいます。

内容もよく見ずに暇つぶし目的で買った本がすごく面白くて、一回でその作家のファンになってしまいまして。


で、好きになるとその人のすべてを知らないと気がすまないという性分ですもので、最近は週に1冊ペースでその作家の本を読んでいます。



何がシンクロしてるのかというと、

その作家の本を読んでいると、出版されたのはずっと昔だったりするのに、

今の今、自分が考えていることとか、最近知ったこととか、ちょっと知ってる土地とか、名前とか……

そういうものが、ページをめくるとそこにある。

一つの作品だけじゃなくて、だいたい全部にわたって、そういうことが結構ある。



別にこじつけで言ってるわけじゃないです。

妄想癖も、自分ではないと思っています。



でもそういうことって、誰にもたまにあるじゃないですか。


鼻歌歌ってたら、次の瞬間にその歌がテレビとかラジオとか流れてくるようなことが。
誰かのこと考えてたら、次の瞬間にその人から電話がかかってくるようなことが。


それと一緒で、最近はその作家の作品とわたしの頭の中が、なぜかシンクロしています。
時を場所を越えて。



考えようによっては、この世には「縁」というものがあって、
よくわからないけど、なんで? っていうところで、誰かとか何かとつながっていたりする。

人だけじゃなくて、物、場所、いろいろなものと。


そのひとつひとつに意味はないのかもしれないけど、

もしそこに意味を見出すとしたら、ただの「偶然」なんじゃなかろうか。


そう言ってしまうのが、一番簡単。

だって運命の赤い糸なんて、誰にも見えないんだから。



会えるはずなかった人にたまたま会ってしまうのも、「ただの偶然」。

知らなかったことをたまたま知ってしまうのも、「ただの偶然」。


だから「なんでわたしがこんな目に!」って災難に遭っても、

「偶然なんだから仕方がない。わたしがいけませんでした。すみませんでした」と思わないといけない。


思わないけど。



だから例えば自転車に乗ってて、自分は全然悪くないのに車に撥ね飛ばされちゃうのも、偶然。


でもそこで怪我して病院に担ぎこまれて、かっこいいお医者さんといい仲になってしまえば、
偶然の結果として車に撥ね飛ばされたことも、「縁」に思える、と。


「ま、車に撥ね飛ばされることがなければ、この出会いもなかったんだよなあ。跳ね飛ばしてくれた車、サンキュ!」になる、と。


そういうことがあればいいんですけど、まあないので、わたしは車に撥ね飛ばされたくはありません!!




最近「アカシックレコード」とかいう言葉がちらっと流行ってますね。

未来のことを予知する人とかいますよね。


そういうオカルティックなこと好きですけど、正直うそっぱちであろう。



自称霊能者、もしくは霊能者とは言わないけど、自称「わかる」人に縁あって見てもらったことありますけど、

その人たちの言うことに捉われたままだったら、ものすごく危険です。

(あくまでも前提として、その人たちが「当たる」と言われる人たちと仮定して。)



例えば「××年ごろに、○○で△△みたいな人と出会う。その人と結婚するよ」「そして□□に住むよ」とか言われて、

「はい、そうですか! じゃあ、それまでわたしはじっと待ってますね!」なんて言えるわけないし。


予知とか予言とかって、
「そうなったらすごいよね。本当はそんなふうにはならないと思うけど」
っていう壮大なエクスキューズを持って聞かないといけないもんで、
真正面から捉えちゃったりしたら、それこそ一生を台無しにする可能性大!



すべては偶然の一致。

最初から決まってることなんか、何もない。


偶然の一致の中からどれを抽出して、どう消化させるか。


結果として悪になるのか、良になるのか。

ようは過程ではなく、結果の如何。



だから良い結果を生みたいんであれば、過程である今をごちゃごちゃ言っても仕方がないってこと。

じゃあ、どうしようか。

どうやって収拾つける。


そう考えることが第一。



なんか長く書いた割に結論があいまい。

偶然読まれた方には申し訳ないかぎりです。



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